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滋賀県の「 彦根市」に関する観光スポット37件を紹介!
彦根市鳥居本と新潟県上越市高田とを結んでいた街道筋といわれ、かつて中山道から北陸路へと続く重要な交通路として栄えた。紅殻格子や虫籠窓などが往時の面影を伝えている。
彦根に伝わる和ろうそくのテーマ館。ろうそく関連の商品を販売するほか、伝統工芸士の実演やキャンドル作り体験もできる。
彦根城北側にある池泉回遊式庭園で、国の名勝に指定されている。4代藩主井伊直興が延宝5(1677)年、中国湖南省にある洞庭湖の「瀟湘八景」に模して造り上げた。
彦根城の大手門を入ってすぐにある地蔵堂。昭和初年、彦根城ないにあった約50体の地蔵尊を有志がこの場所に集め、一宇の小堂を建てたことに由来。様々な御利益があるとされ、参拝客が絶えない。
彦根城表御殿を復元した建物に、井伊家伝来の収蔵品を約3万5000点展示。数多くの文化財を所蔵して、期間限定で公開される国宝の「彦根屏風」もある。
環境省の「名水百選」に選定されている、住宅地に湧く名水。犬上川の伏流水といわれ、地下水を汲み上げている水源地には小さな社が立っている。湖東三名水の一つ。
夢京橋キャッスルロード沿いに朱塗りの山門が立つ。井伊直政によって高崎より彦根に移された。本尊は淀殿念持仏。赤砂と白砂の庭「彼岸白道の庭」がある。法要時、拝観できない場合あり。
井伊直弼が17歳から32歳までの間過ごした屋敷。「埋木舎」は直弼自らが5歳で母を、17歳で父を亡くした不遇になぞり付けた舎号。邸内には直弼ゆかりの茶室が残る。
国宝、彦根城は井伊家35万石の居城として知られている。春は約1200本の桜が満開に咲き、石垣や白壁と調和した様子が美しい。とくに西の丸三重櫓一帯は多くの花見客で賑わう。
湖岸に近い平野にそびえる小高い山。琵琶湖、湖東平野、鈴鹿山脈、彦根城が見渡せる山頂には、かまどの神様を祀る荒神山神社、少年自然の家、放送塔などがある。
彦根港の西、約6kmに浮かぶ周囲600mの小島。眺める方向で島の形がさまざまに変化することから、多景島と呼ばれている。彦根港から一日に2便の観光船が運航している。
彦根城の南西、外堀に架かる京橋から真っ直ぐ南へ延びる通り。江戸時代の町並みを再現した約350mの通り沿いには、みやげ物店、食事処、甘味処などが軒を連ねる。
徹底した製造管理体制の工場内で、印刷シーンをガラス越しに見学することができる。大判用紙に印刷されたド迫力の紙幣を目に焼きつけて、みやげ話に花を咲かせよう。
命綱をつけて挑む、高さ8mの空中アスレチック、全長200mの空中スライダー、日本初の空中ブランコ・ハイGを設置した屋外アスレチック施設。空中でスリル満点の冒険が楽しめる。
夢京橋キャッスルロードを抜けた路地にある町並み。同業者ごとに集めて町を構成していた藩政時代の名残で、家の造りにも特徴がある。町家以外に武家屋敷も混在している。
芹橋から芹川の川沿いをくねくねと曲がる道の両側に仏壇店が立ち並ぶ。全国的に有名な彦根を代表する伝統工芸品、彦根仏壇は泥絵の盛り上がった蒔絵が特徴だ。
旧彦根藩13代藩主、また幕府の大老を務めた井伊直弼の生家。青春時代を過ごした埋木舎の周辺には松並木があり、静かな木陰を作っている。建物の見学は外観のみ。
「おいしさの鮮度は半径16km以内」を合言葉に、イチゴやトマトなどの地元産の野菜、果物、花、加工食品などを販売。地元産の米も豊富にそろう。
人気のビーチ、松原水泳場が眼前に広がる好ロケーション。温泉は「かんぽの宿 彦根」がもつ独自源泉。日帰り入浴も歓迎しているので気軽に温泉が利用できる。
和雑貨と和装小物の店。個性的な和雑貨と扇子、下駄、かんざしなど、センスのいい小物が手ごろな値段で手に入る。オリジナルの商品やちりめんの小物も充実している。
4代藩主井伊直興が延宝5(1677)年、中国湖南省にある洞庭湖の「瀟湘八景」に擬えて造営させた名庭。秋は紅葉が美しく、池に映った紅葉が格別。夜間特別公開は9月と11月の年2回。
彦根の観光地を結ぶノスタルジックな赤いボンネットバス。JR彦根駅から佐和山、彦根城、夢京橋キャッスルロードを巡る。運行時間、運行日は事前に確認が必要だ。
彦根本町1丁目と中央町にまたがる四番町スクエア。かつて「彦根の台所」として賑わった本町商店街を再現した。大正洋風建築の建物が立ち並び、大正ロマンの雰囲気が漂う。
石田三成の居城だった城跡。現在は佐和山の山頂に碑が残る。この城は関ヶ原に近い交通の要衝として置かれ、三成のころに大規模な天守が築かれた。関ヶ原の戦い以降、廃城となる。
大正13(1924)年に建築の銀行を利用した施設。彦根ゆかりの江戸時代の俳人、森川許六の資料のほか、彦根の文化や歴史、民話などを紹介している。ボランティアガイドも常駐。
天保年間(1830〜43)に本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒が立ち並び、かつては城下町彦根の入り口として賑わった中山道の宿場町。今も家並みや看板に旧街道の面影が残る。
本堂と礼堂からなる弁財天堂に豊麗な弁財天坐像を安置することから、一般には大洞弁財天の名で親しまれている。彦根日光とも呼ばれ、商売繁盛を祈願する参拝客で賑わう。
井伊直中が手打ちにした腰元と初孫の霊を弔うために建立。京都の名工・駒井朝運が刻んだ五百羅漢を祀っている。桜田門外の変での遺品を埋葬した井伊直弼の供養塔が立つ。
井伊家発祥の地・遠州井伊谷から移された井伊家ゆかりの寺として有名。かつては臨済宗の学問寺として栄え、とくに造園学が有名だ。鶴亀蓬莱庭、補陀落の石庭が現存している。
旧彦根藩井伊家の居城。初代直政の遺志を継いだ直継と直孝によって20年近くの歳月をかけて完成した。姫路城、松本城、犬山城とともに国宝四城の一つに数えられている。
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