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京都府の「 桂」に関する観光スポット17件を紹介!
京都府の「 桂」17件中 1~17件表示
桂宇治木津の三川合流点、京都盆地の最南端にあたる大山崎町の歴史を、古代中世近世の各時代ごとにわかりやすく展示紹介する資料館。町内で発掘された遺物もある。
臨済宗の寺院。池泉回遊式庭園は京都屈指の名庭で、一面が苔で覆われたその様子から苔寺の名で親しまれている。拝観は申込制。世界遺産に登録されている。
八条宮家の智仁親王が「瓜畠のかろき茶屋」を営んだのに始まる。広大な庭園には古書院、中書院などが点在。参観予約は18歳以上、1グループ4名まで。窓口か郵送インターネットのみ。
野鳥遊園には「観鳥楼」という専用の観察棟があり、望遠鏡からバードウォッチングを楽しめる。また園内の「ものづくり体験館」では、自然の素材を生かしたものづくりができる。
西国三十三所観音霊場の第20番札所。多宝塔は重要文化財。左右約40mに枝を伸ばす、天然記念物の遊龍の松は見事。徳川綱吉の母桂昌院が手植えした樹齢300年のシダレザクラも有名。
南北朝時代に管領の細川頼之が夢窓疎石の高弟宗鏡禅師を開山として建立した寺。十六羅漢の枯山水庭園、紅葉と苔、細川護煕元首相筆の襖絵も見どころ。「竹の寺」とも呼ばれる。
慶長3(1598)年に創建された妙心寺の塔頭。「清浄の庭」「思惟の庭」「真如の庭」「侘の庭」と呼ばれる4つの枯山水庭園がある。国の史跡、名勝に指定されている。
宮津藩主の菩提寺。慶長11(1606)年、宮津藩主の京極高知が杉ノ末に建立した寺を、子の高広が現在地へ移した。また、五代将軍綱吉の生母桂昌院の念持仏を祀る「御霊屋(おたまや)」もある。
「苔寺」の名で有名。夢窓疎石による作庭で、上段の枯山水、下段の池泉回遊式庭園の2段に分かれている。梅雨の時期は130種以上の苔が緑に輝き特に美しい。
本尊・地蔵菩薩像は、平安初期に冥土で生身の地蔵菩薩を拝んで蘇った小野篁が、一木から刻んだ6体の地蔵尊のうちの1体として信仰が厚い。
平安時代、桓武天皇の命によって最澄が創建した久遠寺があった場所。本願寺の3世・覚如が復興させたことから本願寺の別院となった。
長州屋敷の東に、桂と芸妓・幾松の寓居がありました。現在は料理旅館ですが、敵の襲撃に備えた抜け穴や吊天井が当時のままに!長州の京都撤退後、乞食に扮して情報収集を行う桂とそれを支えた幾松は明治後結婚。2人の愛の物語は有名です。
木屋町通、御池通の北に幕末の火薬庫・長州藩の京都藩邸がありました。尊皇攘夷派の中心地であるも元治元年(1864)の禁門の変後、自らの火でその役目を終えます。現在は京都ホテルオークラが建ち、桂小五郎像と長州屋敷跡の碑が建っています。
京都最重要史跡の一つ!文久3年(1863)1月、久坂玄瑞、武市半平太らが集い、続く6月に桂小五郎、真木和泉ら各藩代表が集まり攘夷を話し合った「翠紅館会議」の舞台です。現在は料亭「京大和」となっており、運が良ければ同じ場所で京懐石が楽しめます。
京都を追われ続けた桂が近衛邸を買い取って京に別邸を持ったのは明治2年のこと。明治10年、桂はこの屋敷で病に倒れ、明治天皇の見舞いを受けますが、1週間後に息を引き取ります。当時の建物が「職員会館かもがわ」にて保存されています。必見です!
日本初の官祭招魂社として創建。明治維新の立役者たちが1000人以上祀られています。龍馬と慎太郎、桂と幾松、その他にも久坂玄瑞、吉田稔麿、吉村寅太郎らがこの地に眠ります。また京都市内の眺めや紅葉も見事。京都観光のクライマックスです!
薩摩の西郷、大久保と共に維新三傑と称され、維新後は長州閥の重鎮として文明開化を推進した桂。西南戦争の最中病に倒れ、西郷の行く末を案じたまま息を引き取りました。「同志と共に眠りたい」という遺言に基づき松子夫人(幾松)と共にこの地に眠ります。
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