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大阪府の「 堺区」に関する観光スポット20件を紹介!
大阪府の「 堺区」20件中 1~20件表示
中世の豪商納屋助左衛門が寄付した旧宅が本堂。狩野永徳作の襖絵は、金張りで鶴や松が描かれている。本堂とともに国の重文になっている。
千利休は南宗寺で禅の精神を養い、わび茶を大成させた。天正19(1591)年、秀吉の怒りに触れ切腹。宿院の交差点近く屋敷跡の一角には利休が茶湯に使ったといわれる椿の井戸が残り、石碑が立つ。
1階は、堺の伝統産業の体験・学習・展示コーナーの匠のひろばと、名産品を販売するショップ堺いち。2階は、刃物ミュージアムを備え、楽しみながら堺の伝統産業を知ることができる施設。
西宗真(洗礼名るいす)の菩提所。西るいすはフィリピンへ度々渡航していた堺の豪商で、寺内には家康からたまわった渡海御朱印状が残されている。るいすの由緒書がある。
昔ながらのふいごがある明治5(1872)年創業の刃物店。法隆寺解体修理の際、小鍛冶に選ばれた。店内には五重塔に現在も安置されている物と同じ魔除け鎌がある。
堺は大坂夏の陣で焼け野原となったが、当家は直後に建てられ現在数少ない江戸初期の町家のひとつ。国の重文。
元和5(1619)年、芝辻理右衛門が大坂冬の陣で徳川家康から授けられた地に、鉄砲鍛冶の繁栄を祈願して創建。
総面積約46万4000平方メートル、主軸の長さ約480mの前方後円墳で、世界最大級の墳墓。5世紀中頃に築造され、反正天皇陵、履中天皇陵とあわせて百舌鳥耳原三陵と呼ばれる。
庭園は古田織部の作といわれる枯山水の名園(国の史跡)。寺域には、利休をはじめ千家一門、津田宗達・宗及父子などの墓や供養塔がある。仏殿、山門、唐門は国の重文。
不死鳥のように蘇らせたいと、戦後の道路行政の一つとして生まれた。日本の道100選にも選ばれている。名物のフェニックスの木は昭和30(1955)年に植樹されたもの。
境内の大蘇鉄は樹齢約千年といわれ、国の天然記念物。織田信長が所望して安土城へ移したが、毎夜「堺へ帰りたい」と泣き、再び返されたという伝説が残る。景観美を誇る蘇鉄の枯山水の庭も必見。
与謝野晶子文芸館では、彼女の生涯と多彩な業績を、自筆原稿などの資料展示約50点を通して紹介。アルフォンス・ミュシャ館は、リトグラフや油彩、デッサンなどを展示する企画展を年3回開催。
明治11(1878)年、晶子は老舗菓子商の駿河屋に生まれ、23年間をここで過ごした。彼女が聞いた潮騒は、工業地帯で海岸線が埋め立てられた今は聞くことができない。
堺が生んだ茶人、今井宗久ゆかりの茶室「黄梅庵」と、数寄屋普請の名匠・仰木魯堂設計の「伸庵」を移築している。伸庵には立礼席があり、気軽に抹茶がいただける。
橘屋又三郎が鉄砲製造技術を持ち帰って以来、鉄砲づくりの町になった堺。井上関右衛門家は日本に唯一残る鉄砲鍛冶屋敷で、多くの史料や銃器類を保存している。
堺市庁舎のある堺東から南海線堺駅までの約1.5kmの大小路筋。電線や電話線を地下の共同溝に埋めている。噴水のモニュメントや南蛮貿易が描かれた壁画などがある。
仁徳天皇陵古墳を見るには最適。地上約80m、市街地を眼下に六甲山、関西国際空港から生駒・金剛山、北は大阪城など360度のパノラマ展望が楽しめる。年中無休で無料で開放。
ここは旧堺港の南波止場、白い六角錘形の灯台がロマンチック。明治10(1877)年に建てられた当初の場所に現存する日本最古の木造洋式灯台で、昭和43(1968)年まで海の安全を守り続けた。
古代からの堺の歴史や文化を百舌鳥古墳群と中近世移行期である戦国時代の「自由都市・堺」にスポットをあて展示物などで紹介。ロビーには百舌鳥古墳群シアターを新設。
世界最古のクラシック自転車から最新のオリンピック出場車まで展示している。自転車の仕組み体験コーナーやクラシック自転車の試乗ができる。自転車初心者教室もある(要予約)。
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