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奈良県の「 生駒」に関する観光スポット52件を紹介!
直径50m以上、高さ9mの円墳で国の史跡。6世紀後半のもので、未盗掘の朱塗りの家形石棺、国宝の馬具などが出土した。ガラス越しに石室を見学でき、毎年春と秋に石室特別公開を予定。
上村松園、松篁、淳之の三代にわたる作品・草稿・写生などや、「公募展松伯美術館花鳥画展」展示を通じて上村家三代の画業を紹介。また、特別展・企画展なども開催している。
農業体験やコンニャク作り、ソーセージ作り、そば打ちなどが楽しめる農業公園。農業体験では1月から11月にかけ、イチゴ、サツマイモ、ブドウなど30種類の野菜や果物を収穫できる。
神亀5(728)年に建立したと伝わる。檜皮葺きの美しい本堂は国宝。境内には庫裏と塔頭四坊が立っている。近くの真弓団地東端に、真弓の墓と伝えられる真弓塚がある。
奈良と大阪を結ぶ峠道の一つで、暗峠と並ぶ人気のハイキングコース。石仏や、のどかな風景が昔日の面影を漂わせる道。近鉄竜田川駅から峠まで約1時間半ほど。
生駒山と信貴山を結ぶ延長約20.9kmの有料道路。四季折々の眺望が素晴らしい。「誓いのリンク」がある「鐘の鳴る展望台」は、大阪と奈良の夜景を見下ろすビュースポット。
鎌倉時代に快慶が彫ったと伝わる。写実的に線刻された薬師如来像の左右には日光・月光両菩薩を配している。町文化財、高さ2.2メートル、幅2メートル。
小さな円墳だが、天武天皇の皇子高市皇子の子で、自害の最期をとげた長屋王の墓と伝えられている。少し離れたところには、主人のあとを追って亡くなった吉備内親王の墓がある。
どっしりと鎮座する石が御神体。高さ約6m、幅約10mの巨大な陰陽石は、いにしえから万物を生み出す産土神として崇められてきた石だ。越木塚の集落内にある。
小さな円墳だが、天武天皇の皇子高市皇子の子、自害の最期をとげた長屋王の墓と伝えられている。少し離れたところに、あとを追って亡くなった吉備内親王の墓がある。
祭神は天御柱命、国御柱命。風水害で凶作が続いた時、風神のお告げから創建されたと伝わる。五穀豊穣、航海安全に霊験があるとされ、関係者のお参りが絶えない。
生駒山頂のレジャーランド。大阪湾、神戸、六甲の山並みまでが見渡せ、夜景はまさに100万ドル。人気のゴーカート・ウォーターショットをはじめ約26種のアミューズメントマシーンが揃う。
生駒山越えの最短ルートだった暗峠は、古来、伊勢参りに利用され、旅籠や茶屋が立ち並ぶ賑やかな峠だった。道沿いの石仏や道標にかつての趣が感じられる。
延宝6(1678)年に宝山湛海が中興した。聖天堂に祀られた歓喜天は、生駒の聖天様として広く信仰を集め、お参りの人が絶えない境内には多数の堂宇が立ち並ぶ。
生駒谷十七郷の氏神さま。正式には往馬坐伊古麻都比古神社という長い名。天皇即位の時に火燧木を献上してきた火の神として知られ、神苑に春日造りの社殿が並ぶ。
役行者が開いた修権道の寺院。鳴川山中での修行中に千手観音を感得。像を漆の木に刻み本尊とする。境内には県指定有形文化財の梵鐘をはじめ、町指定有形文化財も多数ある。
奈良時代に行基菩薩によって開かれた寺院。松永久秀に寺を焼かれ、現在の本堂は江戸時代に再建されたもの。平安時代に作られたとされる薬師如来坐像や薬師三尊像は町指定文化財。
信貴山中腹にあり、福徳開運の毘沙門天で親しまれている。トラは寺の守護神で、境内のあちこちにトラが見られる。境内には本堂をはじめ十数棟の堂宇が立ち並ぶ。
昭和19(1944)年に落雷によって炎上した三重塔は、昭和50(1975)年に復元され、美しい姿を見せている。飛鳥仏の薬師如来像、虚空蔵菩薩像など見ごたえのある仏像が多い。
中世武士の居館形式を伝える環濠屋敷で国の重要文化財。1haの広大な敷地には二重に濠が巡り、入母屋造りの長屋門、大和棟の主屋、蒸風呂、新座敷、持仏堂など見どころ多数。
ぽっくり寺の名称でも知られ祈祷を受けると長患いせずに往生できるという霊験がある。年中行事もさまざま行われている。
法隆寺創建の際、聖徳太子が白髪の老人に顕化した龍田大明神に会ったとされることから、大明神を守護神として祀る。神社から約1kmの竜田川は紅葉の名勝地として知られる。
奈良時代の大規模な建物群跡。宮殿級の柱の根元や平城宮と同じ瓦が数多く出土したことから、称徳天皇が使っていたとされる幻の行宮、飽浪宮の跡とされている。
舒明天皇10(638)年に創建。創建のころの建物で残っているのは国宝の三重塔のみで、わが国最古で最大。本堂、鐘楼、金堂などは江戸時代の再建。世界遺産。
聖徳太子が創建した七か寺の一つで、太子が母のために建立した御所跡と伝わる。本尊の国宝、菩薩半跏像は、笑みをたたえた優雅な表情で知られる像。
聖徳太子と推古天皇が推古天皇15(607)年に創建したと伝わる。世界遺産。境内には、国宝・重文の建築物だけで55棟を数え、仏教美術の一大宝庫になっている。
法隆寺の西側一帯に広がる西里は、昔ながらの町並みを今に残す静かな集落。細い旧道の両側に瓦屋根と白壁の民家や蔵があり、辻には赤い前垂れをつけた地蔵がたたずむ。
聖徳太子が母のために創建したと伝わるが、現在は塔と金堂跡の基壇のみが残る。発掘調査では、四天王寺式伽藍配置をもつ大寺院だったことが判明。
中宮寺の守護社として創建された古社。中宮寺から法起寺へ向かうのどかな田舎道沿いに建つ。小さな祠がひとつあるだけの社で、ふだんは無住。
朝護孫子寺の塔頭の一つ。護摩祈願を欠かさず、商売繁盛、家内安全の寺として信仰を集めている。小堀遠州作と言われる。沙羅双樹が咲く美しい庭があることで有名。宿坊があり、宿泊もできる。
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