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鹿児島県の「 徳之島」に関する観光スポット13件を紹介!
鹿児島県の「 徳之島」13件中 1~13件表示
グァバ、マンゴー、パパイヤなどを植栽する亜熱帯植物園。園内ではフルーツジュースを味わうことができる。レストランと陶芸窯を併設している。
巨大なソテツが長さ数百mにわたってトンネルをつくっている。トンネルを抜けると大海原が広がり、釣りのメッカであるトンバラ岩や奄美大島が見渡せる。
島の北端にあって、奄美大島が眺望できる。岩場の海岸が続くなか、ここだけ花崗岩が広がっている。岩石がムシロを敷きつめたように見えることから名前が付いた。
強風や波の侵食を受けた断崖、奇岩、洞窟など変化に富んだ景観が続く景勝地。海岸一帯は東シナ海に面していて、海面をオレンジ色に染める夕日は訪れる人を魅了する。
徳之島に500年以上前から伝わる闘牛大会は、本場所と地方場所を合わせて、年間で20回開催されている。およそ1tもの巨大な闘牛がぶつかり合う音は迫力満点だ。
昭和23(1948)年秋場所で初土俵を踏み、11年後、横綱に昇進した徳之島出身の朝潮太郎。島内には、徳之島の名を全国に知らしめた横綱の功績をたたえた碑が立っている。
「めぐるさんご礁どんと打ち超えて磯に砕ける波しぶき 東シナ海」と歌手の田端義夫がヒットさせた小唄の歌碑。眼下にサンゴ礁の海が広がり、前方に奄美大島の島影を望む。
文久2(1862)年、西郷隆盛は島津久光公の怒りにふれ、徳之島へ二度目の遠島処分を下された。その際、天城町浅間の湾屋港に上陸し、69日間過ごしたという岡前には顕彰碑が立つ。
ユイとは「助け合い」「励ましあい」という意味。この建物では、厳しい自然環境のなかで手をとり合い暮らしてきた島の人々の歴史や文化、民俗などを紹介。陶芸体験もある。
日本のトップアスリート、高橋尚子さんが、シドニー五輪行きをかけた名古屋国際女子マラソンの練習場所として走ったコースを尚子ロードと命名。道路脇には記念碑が立つ。
徳之島の名産品を取りそろえた総合物産館。徳之島では最初の観光みやげ専門店として昭和35(1960)年に創業。地元の特産である黒糖を中心に多彩な商品を扱っている。
1972(昭和47)年、現在の天皇陛下が皇太子の時代に美智子妃殿下とビーチを散策されたことからこの名が付いた。1.5kmほどの白砂が続き、サンゴ礁の海には熱帯魚が泳ぎ、海水は水質検査基準値「AA」と特に優れている。園内はビーチ、キャンプ施設、さらに多目的広場などがあり、充分に遊べる。
1972(昭和47)年、現在の天皇陛下が皇太子の時代に美智子妃殿下とビーチを散策されたことからこの名が付いた。1.5kmほどの白砂が続き、サンゴ礁の海には熱帯魚が泳ぎ、海水は水質検査基準値「AA」と特に優れている。園内はビーチ、キャンプ施設、さらに多目的広場などがあり、充分に遊べる。
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