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青森県の「 五所川原」に関する観光スポット45件を紹介!
岩木山麓に広がる鰺ヶ沢高原にあり、場内施設も充実。オートキャンプ場のほか、快適なログハウスもおすすめ。さまざまな体験教室が行なわれ、中でもツリーイングやピザ打ち体験が人気。
しじみラーメンが味わえるレストランや物産販売コーナー、全長136mのゴムローラーすべり台がある。総延長2kmの遊歩道がある「モー林公園」も整備。
国道101号沿い。周辺市町村の農産加工品を販売する物産館、地元産の米や野菜を素材にした郷土料理のメニューが揃うレストランがある。「おらほの湯」へは車で約5分。
平山家は米造りを生業とした藩政時代の富農。旧平山家住宅は18世紀後半に建てられたもので、茅葺き屋根や太い天井の梁などが見事。国の重要文化財に指定されている。
十三湖から引き上げられた雄鐘を鳴らすと湖底に沈む雌鐘と呼応して「十三恋し」「長円寺恋し」と鳴くという雄鐘と雌鐘の伝説で知られる。県文化財の梵鐘も見もの。幸福(しあわせ)観音も人気。
津軽五所川原駅から津軽中里駅までの田園地帯をゆっくりと走る鉄道。12月から翌3月まで運行されるストーブ列車がつとに有名。
なだらかな丘に広がる緑の高原。高台に建つ開放感あふれるコテージ3棟などがあり、自然を楽しめる。
地元金山地区の良質な粘土で作る陶器で、釉薬を使用しない素朴な風合いが特徴。大小登り窯などが見学できるほか、陶芸体験もできる。
世界遺産白神山地の北に位置し、そこを源流にする清流赤石川がそばを流れる恵まれた自然環境。登山や渓流釣りの拠点におすすめ。
日本海に突き出た行合崎にあるキャンプ場。美しい夕日が眺められる。サイトは海のそばと、高台にわかれている。
100年以上前の茅葺きの民家が中央に建つ。津軽の農村の歴史がわかる、古くからの農具を展示した収蔵館や宿泊施設がある。
津軽の厳しい寒さを体験できる観光ツアー。カクマキ、モンペという衣裳で、寒風吹きすさぶ中を雪原ウォークする。
太宰治記念館「斜陽館」から金木小学校を経て芦野公園までを結ぶ約700mの道。かつて太宰治が歩いた道で、生家の斜陽館から少年時代の彼が遊んだ芦野公園へ向かうコースになっている。
稲荷大神を祀る由緒ある神社。境内社の龍神宮周辺には庭園があり、なだらかな斜面に朱塗りの鳥居が幾重にも連なった不思議な光景を見せる。
海水浴場に面した場内はよく手入れされ、とても使い勝手がよい。どのサイトからも海が眺められる開放的な雰囲気が人気だ。
湖の周囲に広がる公園内のキャンプ場。市街地に近く、水洗トイレに炊事棟と施設が整い、無料で利用できる。
明治の大地主であった太宰治の父・津島源右衛門が建てた入母屋造りの豪邸。青森ヒバやケヤキを使った贅を凝らした造りで、蔵を利用した展示室には太宰の遺品や初版本を展示している。
小説『津軽』に書かれた太宰治と子守りタケの再会の地に立つ記念館。そばには2人をモチーフにした像が立ち、館内では、タケが太宰の思い出を語る映像が上映されている。
小泊から龍飛崎へ海沿いの国道339号を車で走っていると、草に覆われた岩の間を落ちる七ツ滝に出会う。岩の窪みが流れに変化を与えて、とうとうと流れる姿が印象的。
日本海に接しており、優れた自然環境や歴史的景観に恵まれている。特にしじみは全国でも有数の産地で、様々なしずみ料理があり。しじみ狩りも体験できる。
日本海に突き出すように約6kmほど延びる断崖絶壁の奇勝・権現崎。1.2kmから6kmほどの3コースの遊歩道があるが、現在は6kmのコースのみとなっている。
芦野公園の北東、小高い丘にある霊場。空から不思議な燈明が降り、照らされた場所から発見した地蔵尊を安置したのが始まりという伝説がある。イタコの口寄せが有名。
津軽長寿園にある百年樹「紅しぼり」は、明治11(1878)年に譲り受けた苗木が育ったもの。最も大きなものは高さ7.2m、幹周り3.4mというリンゴの木とは思えない大きさ。
誉田別尊を祭神として祀る柏正八幡宮は津軽藩の祖・津軽為信によって建立されたといわれる古刹。毎年7月14・15日に五穀豊穣を祈る例大祭が行われる。
鰺ヶ沢の川尻から十三湖近くまで延びる、30km(約7里)以上ある長大な砂浜。砂浜と並行して点在する湿原は、ノハナショウブやニッコウキスゲの群落が見られる。
津軽半島の西岸に位置する静かな一軒宿の温泉地。単純温泉で、肌がすべすべになると評判。アトピーや水虫、便秘などに効く。目の前の海では海水浴もできる。
古くから奥津軽で親しまれてきた歴史を持ち、にっぽんの温泉100選にも選ばれている名湯だ。宿は1軒。和風庭園を眺めながら入浴できる露天風呂や貸切風呂など多彩な湯が楽しめる。
奥津軽随一の規模を誇る寺。太宰治の作品『思い出』の中で太宰が子守であったタケに連れられて足を運び、寺宝である十王曼陀羅(地獄絵)に恐れおののいた。
太宰治が終戦直前に妻子と共に疎開し、23作もの作品を手がけた家。大正11(1922)年に生家の離れとして建築され、当時は「新座敷」と呼ばれていた。
津軽三味線の歴史や郷土芸能を紹介する施設。世界の弦楽器が展示されていて、音色を聴くことができる。パネルやビデオの解説で、津軽三味線の魅力に迫ってみよう。
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