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北海道の「 函館」に関する観光スポット211件を紹介!
北緯41度23分、北海道の最南端でもあり本州と一番近い岬。青森県竜飛岬までは、わずか19.2km。海岸まで降りられる階段がある。また、白神生まれの歌人・村上清一の歌碑も。
立待(たちまち)とはアイヌ語で「岩上で魚を待ち捕獲する所」の意味。岬に立つと、太平洋や津軽の山並みが広がる。徳川幕府が北方警備のために台場を築いた場所。
明治館1階にあるオルゴールショップ。小さなものからカラクリを施した大きなものまで取り揃える。優しい音色に包まれた店内にはゆっくりした時間が流れている。
津軽海峡を見下ろす丘の上にあり、オートサイトは一部AC電源と水道付き。宿泊施設のキャビンもあり、その他の場内設備も整う。パークゴルフ場が隣接し、観光の拠点として人気が高い。
重厚なゴシック様式の教会。最初の建物は明治40(1907)年に焼失。現在の聖堂は大正13(1924)年に再建された。祭壇はローマ法王から贈られた日本唯一のもの。
函館駅から徒歩すぐという特等地に、約250もの店がある。鮮魚、農産物、乾物など、扱う商品もバラエティ豊か。リーズナブルな値段で、新鮮な味覚を楽しめる。
度重なる火災の後、大正2(1913)年に現在地に再建。「旧イギリス領事館」と「開港記念館」の2つのテーマを明確にした演出がされている。喫茶室や売店も併設している。
ペリー提督の来航で、水兵2名を埋葬したのが始まり。異国情緒あふれる場所だ。プロテスタント墓地、ロシア人墓地、中国人墓地などがあり、さまざまな宗教、国の人々が眠る。
明治13(1880)年築の旧金森洋物店を利用し、函館のハイカラ文化をテーマにした郷土資料館。道内でレンガ造りの建物としては最も古く、北海道有形文化財に登録されている。
大正10(1921)年の建物を利用した文学館。辻仁成などの作品や、石川啄木自筆の手紙や原稿も展示している。意外な作家が函館とゆかりが深いことに驚かされる。
函館の街を築いた豪商の記録が残る資料館。北方開発と遠洋漁業の基礎を築いた高田屋嘉兵衛の往時を偲ぶ資料を展示している。北前船のバラストの壁材で作られた建物も見られる。
五稜郭の南側にあるモダンな外観の美術館。常設展は道南にちなむ作家の作品や、金子鴎亭の書の作品が中心。外にあるブールデルの作品は、フリースペースのため自由に鑑賞できる。
明治43(1910)年、貿易のために移住してきた華僑が建てた集会所。本国から招いた技師や職人が、釘を1本も使わず、清朝時代の伝統工法にのっとって建築した。
山頂まで一気に運んでくれるロープウェイ。ここからの夜景は、ナポリ、香港と並び、世界三大夜景のひとつとされている。函館にきたら一度は見ておきたい風景だ。
旬の食材が並び、活物もお刺身、焼きなどで味わうこともできる。豪華なセット商品が人気で、ギフト商品も多数取り揃えている。鮮度の良い海の幸を提供。
鰊漁と北前船の交易で栄えた江差。その拠点となった天然の港があった島。フットパスコースが整備され、ゆっくり歩いて一周約2時間。かもめ島灯台付近からの眺望が素晴らしい。
福島町出身の二大横綱・千代の山、千代の富士の記念館。九重部屋の土俵を再現したコーナーや、両横綱の優勝杯や化粧回しなどを展示するコーナーがある。
明治の面影を残す木造洋館。大理石の暖炉を備えた応接室、シャンデリアなど、内部にも当時の華やかさが漂う。ハイカラ衣装館で、クラシックなドレスを着て記念撮影も可能。
ロシア領事館付属聖堂として安政7(1860)年に建てられた日本最古のギリシャ正教会の聖堂。大正5(1916)年に再建された。聖堂内は約70枚のイコンで飾られており厳かな雰囲気が漂う。
ペリー艦隊に同行の写真家ブラウンにより撮影された国の重要文化財「日本最古の銀板写真」に関する展示のほか、明治時代と現代の函館の町の移り変わりをわかりやすく比較展示。
西欧の古城を思わせるような赤レンガ造りの女子観想修道院。現在も修道女が修道生活を送っている。内部の見学はできないが、付設の資料館で院内の生活の写真などを展示。
漁業、廻船問屋を営む横山家の初代が、江戸時代に建てた京風建築の家屋。総檜造りで、クギを1本も使わない見事な建物だ。ニシンの甘露煮をのせたにしんそばも食べられる。
江戸時代から回船問屋を営んでいた、近江商人の大橋宇兵衛が建てた家屋。越前石を積み上げた土台、総ヒノキ切妻造りの母屋など、問屋建築の代表的な造りを見学できる。
江戸時代から明治時代まで、江差で商人として活動していた関川家の建物と資料などを公開している。庭は1万1千平メートルの広大な自然庭園となっている。
北海道遺産に指定されている「江差追分」と「姥神大神宮渡御祭」が堪能できる。4月下旬から10月末までは本場の江差追分を1日3回実演している。
北前船が行き来し、栄華を誇った幕末の松前を再現。近江商人の家、ニシン漁の番屋など、約14棟の建物が並ぶ。
松前城の愛称で親しまれているが、正式名は福山城。安政元(1854)年に築城された、日本最後にして最北の日本式城建築。現在の天守閣は昭和35(1960)年に再建されたものだ。
徳川幕府が幕末の北方経営の拠点として建設した、特別史跡「五稜郭」の外側に立つ高さ約107mの展望台。眼下に星形の城郭を確認でき、函館山、函館の市街地などすばらしい眺めも一望できる。
青函連絡船「摩周丸」を利用した資料館。操舵室、無線通信室が当時のままの形で見学できるほか、連絡船の歴史や船のしくみなどをパネル・模型・映像で学習できる。
新選組副長だった土方歳三は箱館に渡り、箱館戦争の中でも激戦だった二股峠の戦いで活躍。明治2(1869)年壮絶な死を遂げた。その最期の地となったのがここだ。全国から多くのファンが訪れる。
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